勝山城
かつやまじょう
親不知ジオサイト
上杉景勝と豊臣秀吉が会見した越後・越中国境の要害の城
勝山城は別名を落(堕)水城(おちりみずじょう)と称し、越後の最西端に位置する堅固な山城です。日本海に切り立った勝山は、眼下に北陸道を監視できる要衝の地であり、勝山城は越中との国境を防備する重要な城でした。
この城には、上杉景勝と羽柴(豊臣)秀吉が、それぞれの腹心の部下、直江兼続、石田三成を伴って会見をしたとの伝説があります。
歴史
勝山城の築城は、平安時代末期から鎌倉時代初期と目され、木曾義仲(1154~1184)が京へ進撃の際にこの地を通るのを阻止するため、地元の豪族が城を構えたとの伝説があります。
上杉謙信(1530~1578)の時代には、春日山城(上越市)を中心とする越後の国の西の要城として、越中勢を防備する重要な役割をなしていました。
上杉景勝時代の城主は須賀修理亮(しゅりのすけ)で、その時、秀吉との歴史的会見が行われたといわれています。
勝山城の位置
勝山城は「親不知・子不知県立自然公園」に位置し、北アルプスが日本海に没する勝山(標高328m)にあります。勝山山頂からは、眼下に北陸街道(現在の国道8号)、北は日本海とその沖に能登半島、東は糸魚川市街から上越方面を遠望できる天然の要害です。
越中をはじめとした西方の動きはこの城を起点として、不動山城、徳合城等を経て、狼煙で春日山城へ伝えられました。
※城跡は勝山山頂(登り約50分)にあります。登山のできる服装でお越しください。山頂に水場、トイレはありません。
春や秋にはクマやサル、イノシシなどの野生動物が出没することがあります。鈴やラジオなど音の出るものを携行して、注意して登ってください。
景勝と秀吉の会見の舞台
江戸時代に記された軍記物によると、天正13(1585)年に越中の佐々成政を降伏させた秀吉は、わずかな兵を率いて勝山城に現れ、景勝との会見を申し入れました。しらせを受けた景勝と直江兼続(上杉家家老)主従が馬で駆けつけ、この勝山城の地で景勝、兼続、秀吉、三成の4人での会見が実現しました。
この会見により、上杉家と豊臣家の同盟が成立し、上杉家を信頼した秀吉は上杉景勝を五大老の一人に任じたといわれています。
大河ドラマ「天地人」でもこの勝山城での歴史的な会見は、一つの山場として描かれています。
糸魚川市大字青海
所在地 | 糸魚川市大字青海 |
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