糸魚川の歴史年表
いといがわのれきし・ねんぴょう
糸魚川市は旧糸魚川市、西頚城郡青海町、同郡能生町が合併し、2005年3月19日に誕生しました。
この「糸魚川西頚城地方」の歴史は古く、長者ケ原遺跡や寺地遺跡等の国史跡から縄文時代まで遡ることが発掘調査の成果及び研究等で分かっています。
また(硬玉)翡翠の産出地としても有名で2箇所が国天然記念物に指定されています。
現代に伝承されている民俗芸能等も多く、天津神社や白山神社の舞楽、根知山寺の延年が国指定を受けています。
東西文化の交流拠点に加え、北前船往来による海上交通の拠点として(白山神社には国指定の海上信仰資料があります)、更には松本街道(一部が国史跡)での塩荷等の信越物流拠点として大いに栄えました。
歴史や文化の宝庫である当地方を年表で見てみましょう。
糸魚川の歴史 略年表
| 時代 | 西暦等 | 主なできごと |
|---|---|---|
| 縄文 | 中期 | 土器や弓矢があらわれる、集落が形成される 長者ケ原遺跡(一ノ宮)でヒスイの加工や玉作り、石斧作りが行われる 井ノ上遺跡(能生)で人物土器が作られる |
| 晩期 | 寺地遺跡(寺地)や細池遺跡(滝川原)でヒスイの加工や玉作りが行われる | |
| 弥生 | 大陸から稲作や金属器が伝わる | |
| 後期 | 大陸から稲作や金属器が伝わる 後生山遺跡(一ノ宮)などで玉作りが行われる |
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| 古墳 | 田伏遺跡(田伏)、大角地遺跡(今村新田)などで玉作りが行われる | |
| 538 | 仏教が伝来する | |
| 奈良 | 710 | 平城京に遷都 『古事記』に奴奈川姫と大国主命の歌謡がうたわれる |
| 平安 | 794 | 平安京に遷都 |
| 927 | 『延喜式』に奴奈川神社や青海神社が掲載 日光寺の十一面観音立像(県指定)、天津神社の木造奴奈川姫神像(県指定)、水保の十一面観音 立像(国指定)、能生白山神社の聖観音立像(国指定)などが作られる |
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| 鎌倉 | 1192 | 源頼朝が幕府を開く |
| 1221 | 承久の乱、浄土崩れ(親不知)で朝廷軍を幕府軍が破る | |
| 室町 | 1338 | 足利尊氏が幕府を開く 世阿弥元清が謡曲「山姥」を創作(上路) |
| 1499 | 能生白山神社の「汐路の鐘」鋳造 勝山城(青海)、根知城(根小屋)、不動山城(越)、徳合城(徳合)など築城か |
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| 1515 | 能生白山神社本殿(国指定)建立 | |
| 1553 | 村上義清が根知城主となる | |
| 江戸 | 1603 | 徳川家康が幕府を開く |
| 1613 | 荻田主馬が清崎城主(一の宮)となる | |
| 1681 | 越後騒動(高田藩のお家騒動)により清崎城が廃城、のち陣屋が築造 | |
| 1689 | 松尾芭蕉が桔梗屋(市振)に泊まる | |
| 1779 | 山口家住宅(下出)の上棟 | |
| 1819 | 黒川騒動(悪政に対する農民一揆)が起こり、郡代の黒川氏は罷免 | |
| 1824 | 戸倉山で雪崩、ボッカ宿を襲い死者多数 | |
| 明治 | 1878 | 明治天皇の北陸巡幸 |
| 1882 | 親不知道の開通 | |
| 1883 | 相馬御風の誕生(~1950 没) | |
| 大正 | 1913 | 富山~直江津間の鉄道が開通 |
| 1916 | 相馬御風が突如として糸魚川に退住、『還元録』を出版 | |
| 1923 | 水保の十一面観音立像が国重要文化財に指定(旧国宝) | |
| 昭和 | 1938 | 小滝川でヒスイを発見 |
| 1945 | 第2次世界大戦の終戦 | |
| 1950 | 能生白山神社の聖観音立像が国重要文化財に指定(旧国宝) | |
| 1954 | 長者ケ原遺跡の第1 次発掘調査が行われる | |
| 1955 | 小滝川硬玉産地が、翌年、青海川の硬玉産地が国天然記念物に指定 | |
| 1958 | 能生白山神社本殿が国建造物に指定 | |
| 1971 | 長者ケ原遺跡が国史跡に指定 | |
| 1977 | 山口家住宅が国建造物に指定 | |
| 1980 | 寺地遺跡が国史跡に、糸魚川・能生の舞楽、根知山寺の延年が国重要無形民俗文化財に指定 | |
| 1987 | 能生白山神社の船絵馬が国重要有形民俗文化財に、青海の竹のからかいが国重要無形民俗文化財 に指定 | |
| 平成 | 2002 | 松本街道(塩の道)が国史跡に指定 |
| 2004 | 塩の道ボッカ資料が国重要有形民俗文化財に指定 | |
| 2005 | 糸魚川市、青海町、能生町が市町合併により、新糸魚川市が誕生 | |
| 2006 | 木地屋資料が国重要有形民俗文化財に指定 |
| 問合先 | 文化振興課 |
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