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不動山城跡は早川谷の独立峰不動山(標高447m)にある戦国時代の山城跡です。
不動山城は四方を絶壁に囲まれ、前面には早川の急流が控え、天然の要害として戦国時代を代表する堅固な山城です。城の遺構が多く残されていることから、市の文化財に指定されています。
山頂の本丸跡からは、眼下に早川谷から日本海までの景色が広がり、遠く頸城連山や北アルプスの山々を眺望することができます(写真)。

城跡

本丸跡

不動山の頂上にあり、東西23×南北21mで、領内のほとんどが見渡せる眺望があります。また、遠くには越中口の勝山城、信濃口の根知城を望むことができ、一朝ことあらば、のろし等による連絡が可能でした。現在も往時をしのんで、毎年5月にはのろし上げのイベントが行われています。

帯郭(おびぐるわ)

本丸から10mほど下がると、ぐるっと本丸を取り囲むように広い段地があり、帯郭と呼ばれています。これはその周りにある空掘りと同じく、本丸を守るための仕掛けの一つであったと考えられています。

二の丸、三の丸跡

帯郭の5m下に二の丸跡があります。東西35m×南北25mの広さがあり、一隅には直径2mの井戸が今も水をたたえています。二の丸跡の下には大規模な三の丸跡があります。東西35m×南北60mの広さで、当時の遺構を残しています。

不動山城と山本寺氏

山本寺氏は、越後守護上杉氏の一族上杉景貞が山本寺と称し、不動山城を築いたことによりおこったといわれています。そのため、山本寺氏は上杉家の中でも地位が高く、上杉氏軍役帳によると、上杉一門では6番目の家格とされていました。
また、不動山城主は代々「度々、軍功あり(上杉将士書上)」といわれ、3代の山本寺定長は川中島合戦などで華々しい軍功を立てています。
なお、この定長は、若年の頃には上杉謙信の近習であり、元亀1(西暦1570)年に上杉景虎(北条三郎)が謙信の養子となると、その守役となりました。そのため、天正6(1578)年に謙信の後継を上杉景勝と景虎で争った御館の乱(おたてのらん)では、山本寺定長は景虎方の主勢力となって戦いましたが、不動山城は景勝方の攻撃にあい落城、定長は敗走の憂き目をみました。その後、景勝方に付いて戦った、定長の弟の山本寺孝長が城主となりました。

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所在地

糸魚川市大字越

アクセス
  • 車の場合
    北陸自動車道糸魚川インターチェンジ下車、国道148号を右折し国道8号へ
    国道8号を右折し上越方面へ約10分
    信号「早川橋西詰」を右折し約10分
    越バス停左折後、案内看板に沿ってお進みください
  • 電車・バスの場合
    JR糸魚川駅下車、駅前バス乗り場から「笹倉・焼山温泉行き」 で20分
    バス停 越(こし)下車後、徒歩60分

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